JIA長野県クラブ「代表日誌」 2017年2月

公益社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 長野地域会

JIA長野県クラブ「代表日誌」 2017年2月

JIA長野県クラブ 山口代表より「代表日誌」2017年2月 が届きました。(2017年2月28日)

 

2月5日 

くらしの空間セミナー「松本市美術館と宮本忠長と」 講師:久米勇一氏

今年で最後になる予定の松本美術館主催の「くらしの空間セミナー」はこの美術館を設計され、昨年ご逝去された宮本先生の功績を改めて評価する意味で大変意義深いものとなった。意図された訳ではないがこの企画が口火を切り、今年は4月の通常総会で当会が会員集会で追悼企画を行い、年内には建築士会の主催で本格的なシンポジウムが開催され、来年の建築祭ではここを会場に回顧展が我々と宮本事務所の協同で行われる予定である。

 

講師の久米さんは現在事務所の設計長のお立場で、事務所を代表して講師をお務めになられた。ご自身も関わったこの美術館を中心に、入所以来の宮本先生からの様々な教えやご自身が捉えている先生の建築思想をスライドを交えながらお話しされた。久米さんの事務所内での担当の推移やその時々の先生の立ち振る舞いやエピソードは私のような部外者からは窺い知れない、先生の人となりや設計手法が垣間みえ大変興味深いものであった。

講演は松本美術館の誕生と宮本先生を所員の目から紹介するという内容であったが、先生の社会的な評価は更にこれから始まるし、シンポジウムなどで議論されることになるだろう。

 

ところで、私はことあるごとに久米さんに入会を懇願しているが、いつもクールな笑顔でスルーされてしまっている。“今日は入会のことは申し上げない”と申し上げた。

 

2月13日 

1月31日の支部役員会で来年度予算が承認されたことは報告したが、その後藤沼支部長からメールで激が飛び、支部長が示した支部の諸問題に対する常任幹事各自の提案を17日までに提出することになった。週末に考えたことをまとめ今日提出した。

以下がその整理項目だが、内容をここで発表することは控え、項目だけ列挙する。

  1. 県域地域会から見た支部の役割整理
  2. 東京の地域会のあり方について収支改善も含めた検討整理
  3. 支部委員会活動について、財政基盤も含めた検討整理
  4. 活動支援金(協賛費、公的資金など)の効果的な以来方法
  5. その他

 

2月18日 

山の子保育園見学会:建築士事務所協会との共催(といっても名前だけですが)で日事連の建築作品優秀賞を受賞された、野口・藤松・荒井さん協同設計の「山の子保育園」の見学会に参加した。池田工業高校と飯田OIDE長姫高校も加わり総勢100名を超える見学会になった。3班に分かれ、私は藤松さんの案内で園内を隈無く見学させていただいた。松本市の認可保育園だが、私立ならではの特徴的な保育方針に応えて見事な提案を行っていた。決して潤沢とは言えない予算の中で様々な工夫がなされていた。またクライアントからは園の成り立ちから始まって、教育方針や特徴的な運営方法の丁寧な説明があり、それによって設計意図が充分に理解できた。増築も含め難しい諸要素をまとめ、印象的な空間を提示したその手腕に敬意を表します。また全員がJIA会員であることに誇りを感じた次第です。

 

2月20日 

NHK イブニング信州“きらり旬に人”にJIA長野県クラブ 赤羽吉人相談役が出演された。

17日の夕刻、事務所から自宅に移動(約10秒)し点けたNHKの地方版ニュースの20日の予告で平昌オリンピックのジャンプ台の紹介をしていて、即座に赤羽さんだと分かったので佐藤さんからメールで会員に通知してもらった。ご存知のように赤羽さんは白馬を初めスキーのジャンプ台設計の第一人者で、平昌オリンピックのジャンプ台の防風施設を設計された。録画だそうだが、堂々としていて質問に対しても淀みなく非常に分かりやすく的確な解説をされていた。テロップには建築士でなく「建築家 赤羽吉人」と表記されていたのも流石でした。

また10日付けの朝日新聞にも紹介されたことを付け加えておきます。正に時の人になりましたね。おめでとうございます。

 

2月22日 

新建新聞社との契約:当会からは吉田広報委員長、佐藤さんと私、新建新聞社は関さん、酒井さん、松本さんが参加して契約を取り交わした。編集に関しては作業量の多さに多少遅れ気味のようだが、発刊は3月31日に予定通り間に合いそうである。販売を担当していただく新建さんの方でも様々な企画を考えていただいているようだ。自社の出版媒体を通じた宣伝と書店への対応に加え、長野駅のMIDORIでの一般市民向けのイベント等の提案もあった。個人ページの何人かの参加者からの要望への対応と表紙及びJIAのページが残っていて、委員長初め担当者は毎日何十本というメールのやり取りをしているそうである。今年は新たな試みで、産みの苦しみを終盤に来て味わっているように感じた。本当に頭が下がる思いである。

 

2月23日 

第7回常任幹事会:支部長から17日までに提出を求められていた支部改革への各人の提案とそれを傾向別に榎本総務委員長がまとめた資料をもとに意見交換が行われた。内容は多岐にわたるので3月2日の2回に分けて行われることになり、今回は主に支部再編と東京地域会について話し合われた。

 

支部再編については東京の独立か、いくつかの分割再編の可能性が論じられたが、今後の課題にすることとして、当面は現状の中での改革に専念する方向で合意された。関東甲信越というくくりで作られた経緯は、当時の建設省の指導によるもので東京単独の支部が認められなかったようである。しかし建築士会と事務所協会は都道府県単位の組織なので一緒には論じられないと思う。私は少なくとも「甲信越支部」はあり得ないことを申し上げた。それ以上は言わなかったが、個人的には北関東甲信越支部はあり得るのではないかと考えるが、他の地域会の賛同を得られるかどうかは分からない。この規模だと会員数200名くらいになり、北陸支部と同程度になるだろう。

 

東京問題に関しては、決算・予算・総会議決書の提出を厳格化し、提出できない地域会に対しては予算配分をしないこと(これは県域も同様)。地域連携会議をオフィシャルなものに格上げはしないこと。地域連携会議ではない東京都を包括して議論できるWG的なもので当面は対応して行くことで意見集約した。私からは地域会活動費の使途を以前のように限定することを提案した。

現在支部が抱えている問題の多くは東京に関係していて、この解決なくして支部改革はなし得ないというのが共通認識である。

 

この他に総務委員会からは準会員の所属地域会の取扱いが審議事項として出され、複数の地域会で活動している会員(当会には該当しない)の地域会への戻しは本人の意思を確認の上1つの地域会に支払うこととした。

広報委員会からは、年6回発行しているBulletinを季刊にすることで年間130万円の減になることが報告され、WEB改訂WGからは現状の報告がされた。

2018 JIA全国大会実行委員会については、地域会推薦の申し込みが少ないことと、3月には立ち上げたい旨の報告があり、次回組織構成を協議することになった。

次回は15時から開始し恐らく5時間超えの恐ろしい会になりそうで、今から考えるだに恐ろしい。。。

 

2月25日 

第25回文化講演会 「建築家の仕事」 講師:手塚貴晴氏・手塚由比氏

通算では第11回目、松本市美術館との共同企画になって9回目の建築祭がスタートした。

今年の文化講演会は手塚ご夫妻をお招きした。参加の募集開始後1日半で定員の120名に達したそうで、キャンセル待ちで会場にいらしたが結局入れなかった方もいらっしゃったようで、主催者としてこの場をお借りしてお詫び申し上げます。

 

貴晴先生とは2年前の前橋で行われた北関東甲信越学生課題設計コンクールの審査員でご一緒させていただいたが、物事を全てポジティブに捉え学生を励ます姿勢が非常に印象的であった。

子育て中のため二人揃っての講演は本当に久しぶりとのこと。講演は由比先生がリードし、貴晴先生が更に補足解説されるスタイルで行われた。「屋根の家」と「ふじようちえん」に多くの時間を割きながら、クライアントの要求とそれに対して自分たちが考え応えていった過程を非常に分かりやすい言葉で、時には動画も交えながら解説していただいた。私などは性格もあるかもしれないし、施工上がりということもあって勝手に境界を引き、やってはいけないことを最初から決めているようなところがあるが、お二人にはそんなところは微塵もない。「屋根の家」を初めて雑誌で見たときにその発想の豊かさに驚いた記憶があるが、決して突飛な発想をクライアントに押し付けている訳ではなく、個性的な施主がその才能を見込んで依頼し、見事に期待以上の回答を導き出している。それはそれまでの「住宅」や「幼稚園」の概念を根本から覆すような提案だが、特殊解というに留まらない、理にかない説得力がありかつ普遍的な価値が見いだせるものであることから高く評価されるのだろう。

楽しい講演であっという間に時間を超過し、質問の時間はあまり取れなかったが一般の参加者からも相次いだ。建築の講演はとかく専門的になるので質問がないことが多いが、ポジティブで楽しく誰にでも分かるお話が一般にも公開して行った講演会として成功した所以だと思う。

 

引き続き懇親会をまつもと市民芸術館のレストラン「芸術館レスト井Say」で行った。両先生と美術館の小川館長、清澤副館長他関係者の皆さんと当会の同窓OBなど36名が参加して楽しいひとときを過ごした。

2次会はお決まりの「酒房 蔵佳」で行われ、恒例の川上さんの倉造りのレクチャーもあり、手塚先生もしきりに感心されたご様子だった。

 

2月26日 

第26回 長野県学生卒業設計コンクール

今年から審査員の構成が変わり、委員長に手塚先生、審査員は松本市美術館 小川館長、進藤関東甲信越支部副幹事長、飯井群馬地域会代表、私の総勢5名になった。

午前中に高校の部と専門学校の部を審査を行った。

 

高校の部は5校21作品が出品された。今年は質が高く、入賞は奨励賞も含め4作品だが他の作品にも注目すべきものが多くあった。2〜3年前は1校だけ突出していたのが今年は他の学校にも影響が及び明らかに全体のレベルが向上した。今年の入賞が2校だったのがそれを証明している。特に池田工業高校の健闘が光っていた。丸子修学館は初の参加で、残念ながら入賞はできなかったが他校からの刺激を得て継続して参加されるよう期待したい。上田千曲は今年も残念ながら入賞を逃したが、結果に屈することなく来年以降への飛躍を期待している。私は数多くの優秀なOBを存じ上げています。先輩達に負けないよう頑張ってください。

 

専門学校の部は今年も上田情報ビジネス専門学校1校の参加だった。ここで初めて建築を学ぶ学生も多いと聞く。2年間で成果を出すことの難しさは充分予想されるが、例年9月のJIAの「出前講座」で出会う新入生の成長ぶりをこの場で確認する楽しみもある。時間も限られた中で2年間の成果をより建築に表現できた作品が受賞できたことを理解して欲しい。この続きはぜひ次のステップで発展させていただきたい。

 

大学の部は信州大学から6作品が出展された。最近の傾向として特に女子が元気がいいこと(信大に限ったことではないが)と高齢化による社会現象への提案が目立つことだ。そうするとどうしても女子の細やかな目配りとコツコツと地道に造り上げて行く努力に高い評価が与えられることに繋がる。今年の受賞も金賞と銅賞は女子学生の作品であった。私自身はまちづくりや分棟形式の案が高評価を得がちな傾向に多少疑問を持ち始めていて、単体の建築で勝負する案にエールを送りたい気分だが、当然より高い能力を問われることになるのでハードルは高くなるだろう。銀賞を獲得した男子学生の単体の建築案はかなり乱暴で粗もあるが、やりたいことが明確で構成力に魅力を感じて1票を投じた。

コンクールの度に誰かが必ず指摘することだが、誰でも人生は負けの連続だということだ。入賞を逃しても、何が足りなかったかを反省し努力を重ねることが成長に繋がることを信じて次のステージでの糧にしていただきたいと思う。

 

手塚先生に学生達に向け多くの助言と励ましをいただいた中で私が一番印象に残ったのは、“今まで自分の置かれている環境に不満を持ったことは一度もなく、いつも感謝していること。そしてその中で全力で努力してきた”というお言葉であった。

その通りに2日間休むことなく行動され、人の3倍くらいのエネルギーを振りまきながら台風のように過ぎ去って行ったかのような印象を残して、MITの授業に向けて帰路につかれた。

今日はプロポの提出日だったそうである。

 

またこの場をお借りして、松本市美術館とスタッフの皆さんの建築に対する深いご理解とご助力に敬意と感謝を申し上げます。

 

2月28日

1月17日の幹事会で支部委員会に対する当会としてのスタンスに一定の方向が示され、なるべく多くの会員が経験するということと、WEB会議での参加が前提となるなら正副委員長などの役を引き受けるのは難しいという状況から原則1期2年での交代でもよいということになった。

 

総務委員は来期は辞退し、保存問題委員会は山田さんから窪寺さんに交代することで幹事会の了承も得ている。

私が所属する災害対策委員会は中山委員長の退任に伴って2期目がほとんどいない状態で退任は許されず、副委員長を渋々引き受けていた。しかし、東京の委員に委員長就任を断られ委員長が当分決まりそうにないという非常事態に陥り、急遽7月頃までの委員長代理を引き受けざるを得ない事態に陥った。

支部全体では聖域なき支出削減は避けることのできない命題だが、それとは別に委員会はそれぞれの事情を抱えていて、ここに東京問題も影を落としていて状況を複雑にしている。

それにしても、絶対辞めるつもりでいたのにこんなことになるなんて、トホホである。。。。。

 

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