JIA長野県クラブ「代表日誌」 2017年9月

公益社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 長野地域会

JIA長野県クラブ「代表日誌」 2017年9月

JIA長野県クラブ 山口代表より「代表日誌」2017年9月が届きました。(2017年9月30日)

 

9月15日

研修会「災害に係る住家の被害認定」

(一社)災害総合支援機構と災害対策委員会が共催の被害認定調査の講習会がJIA館で開催され、長野県クラブからは丸山監査役と私が参加した。

 

講師は内閣府で只一人の被害認定担当である粟津貴史氏で行われた。

私は2回の2次調査に参加した経験から、不統一の基準の標準化を図るべきと考えていたが、粟津氏によると、被災自治体の判断に任せていて内閣府が指導する立場にはないとのことである。今回の研修も1回限りのもので、配布された資料を他に持ち出したり講習に使うことはしないよう釘をさされた。

 

9月16日 

「信州温熱教室 実践編3」

7月22日の第2回は父の死により参加できなかったので、多少不安な気持ちで臨む講習会となった。

前回の第2回のQ&Aの後「エネルギー性能の演習」を行った。H25年省エネ基準が施行され、躯体性能に加え一次エネルギー消費量削減を意識した設計が求められるようになった。

一次エネルギー消費量削減は躯体性能向上の他、日射熱利用・自然エネルギー利用などの負荷低減に加え、冷暖房・給湯・照明などの設備機器効率や、使用燃料の選択など総合的に考える必要があるという講義の後、計算プログラムを用いて各種一次エネルギー消費量の計算を行った。

基本設計段階から直感力を磨くために、考え方を学び、様々なパターンのエネルギー性能を計算し考察するトレーニングを繰り返し行うことを求められた。

 

9月20日

第3回災害対策委員会

前回の議事録の確認の後、東京都の今年度の応急危険度判定員と相談員の養成の取組が紹介された。続いてJIAのBCP(事業継続計画)2017の策定に向けて、今年中に意見を提出するよう求められた。また東京大会2018に向けてのこれからの支部委員会の活動内容を、委員長が作成したスケジュールにのっとって説明が行われた。

徳島大会は災害が大きなテーマになっているので、委員長が報告書を作成することと、最期に15日の研修会の報告を郡山副委員長が行った。

 

9月27日

28日からの徳島の全国大会に参加するために佐久を午前中に出発し、羽田発13時45分の飛行機で徳島に到着した。心配された雨は大したことはなく、チェックインの後 徳島駅周辺を散策した。

 

9月28日

徳島大会の初日。まず災害対策会議主催のセミナー「被災地から、未被災地から」に11時から参加した。東北支部と九州支部からは災害・復興支援の報告が行われ、和歌山地域会からは南海トラフ地震を想定した「逃げ地図」の作成の報告と地元徳島地域会からは「事前復興としての仮設住宅」の報告が行われた。

 

共に素晴らしい活動で、我々が学ぶべきことは多いと強く感じたが、後者に関しては切迫した危機感のない長野県では難しいかもしれないとも感じた。このセミナーは次のシンポジウムのテーマ「日常と非日常のはざま『防災』から『栄続』へ」に関連していて、シンポは平常時と非常時の落差をなくす「フェイズフリー」の概念を敷衍しながら、古くからあった地域の知恵に学び、建築周辺の仕組みを考え直すことで「防災」を位置付けようという試みであった。

 

最初に登壇した岡村高地大学名誉教授のお話は衝撃的なもので、阪神淡路大震災以降わが国で発生した地震と南海トラフ地震の関係を資料を使って説明され、規模はともかく発生するのは確実だとの結論は説得力があった。

 

続いて「環境」をテーマに吉野川と剣山系に点在する「空の里」(飯田の下栗の里を連想してください)の事例を通して、次世代環境建築を考えるシンポジウムに参加した。地域の自然の循環の仕組みや、気候風土と生態系に基づく生命と繋がった環境づくりの視点から、低炭素社会の実現を考えるというものだ。山の中で育った自分のような人間には理解できる内容だったが、私の記憶に残る昭和30年代はノスタルジーではあっても美化できない事柄も数多くあって、果たして現代に通用するかは疑問に思ったのと同時に、この手の分野には政治的なイデオロギーの持ち主が登場するのにうんざりした。

 

最後に毎年開催されている全国地域会会議に出席した。今年は2つの事例が紹介された。北海道支部からは道からJIAに特命で委託された、建売を前提にした北海道型環境住宅の設計業務が紹介された。道が開発した住宅地に6組の設計者とパートナーの工務店を募集して建設する取り組みである。依頼を受けてから2年が経過し今年中に着工予定だそうで、大きな反響があり多くの質問が出された。

 

もう1つの事例は愛媛地域会が丹下健三設計の今治市庁舎・公会堂・市民広場の都市計画的構成の意味と役割、利活用の可能性、次世代に如何に生きた警鐘をすべきかを、活動を通じて報告した。

 

恒例のウェルカムパーティの後、宮城地域会が発起人の「被災地交流」に新潟・茨城両地域会代表と共に参加した。東北支部と九州支部からも参加があり20数名の懇親会が開催された。

来月の宮城地域会訪問の件を手島さんと打ち合わせできたのと、私の向かいの席にいらっしゃった針生承一先生と会話が弾み、とても貴重なひと時を過ごすことができた。

 

9月29日

大会2日目。午前中は『AI』—建築の未来世界、建築の本質的革命が始まるーに参加した。

ARUP日本事務所の彦根所長は事務所が行った12の事例(海外を含む)に対して、最適解を求めるために用いている先進的なテクノロジーを紹介された。超アナログな私には目眩が起きるような(実際まだ病気の目眩が続いているが・・・)驚くべき世界の連続であった。

 

有名な建築の、問題を解決するために解を求めていく様子はまさにスリリングそのものだ。建築家の求める形態を導き出す過程も興味深いが、複雑な鉄骨柱の仕口を10分の1の重量に減らすシュミレーションは感動的ですらあった。コーディネーターを務めた東大の小渕准教授は、BIMが生まれた背景と高齢化により今後立ち行かなくなることが予想される施工の将来を見据えて、東大で行っている基礎的な研究活動を紹介された。正直に告白すると、あまりに先進的すぎて私はほとんどついていけなかった。

 

例えば、個々に違いがある身体的形態を組み立てて行って生じる差異をAIで修正し最適化する、と聞いてお分かりになるでしょうか? それでも、よく分からなくても大変面白く時間を忘れて聴き入ってしまった。AIによる革新的な技術革新が進んでも、最後には人間の手を介さないとリアルな建築を立ち上げることはできないだろうという結論にはホッとさせられた。おかげで次に参加しようと考えていた「ストック活用で考える空き家対策」に遅れてしまい、満席で参加できなかった。

 

大会式典の後、メインシンポジウム「建築家と土着」が行われた。

高知の山本長水氏が「かたつむり山荘」から近作までを紹介しながら、土佐の素材を使い風土・生活に寄り添う建築を語り、原広司氏はアルジェリアとイエメンから入って、イランの人口オアシスと西アフリカのサバンナ集落を比較しながら、建築的特徴を言語の標準語と方言に例えつつ我々が固有の地域の特徴(土着)と考えているものがそこだけにあるものとは言えないというレクチャーをされた。

 

コーディネーターを務めた布野修司氏は苦悩しながら(?)「防災」、「環境」、「AL」と進めてきた議論との関連性を見出す努力をしながら共通項を探っていたが、二人の報告者のスタンスがあまりに違うので、謳い文句である新たなる建築、住居の世界についてリアルで深いメッセージが得られたかは疑問だった。それでも3時間に及んだ議論はかなり刺激的でした。

その後レセプションパーティに参加したが、目眩で辛くなり早めに退席してしまった。

 

9月30日

大会3日目。午前中のシンポジウム「建築家と土着2」に参加した。

昨日のシンポのパート2だが、地元の建築家、大学の先生、地元ではないが徳島県内で実績があり評価も高い6名のスピーカーがそれぞれ発表を行い、昨年の大阪大会にも登場した大阪市立大学准教授で建築史家の倉方氏がコーディネートする形で進められた。大変興味深く有意義なシンポだったが、帰りの飛行機の時間があり途中で退席し帰路に着いた。

今年の大会はよそに逃げ出すこともなく真面目に参加した、って偉そうに言うことでもないか?

 

 

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