JIA長野県クラブ「代表日誌」2019年3月

公益社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 長野地域会

JIA長野県クラブ「代表日誌」2019年3月

JIA長野県クラブ 荒井代表より「代表日誌」3月 が届きました。(2019年3月31日)

 

本年度もようやく終わります。長い一年でした。総会に提出する事業報告を見直していると、委員会の回数はそんなに多くないのですが、とにかく忙しかったという印象です。

 

3月9日

『建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル』始動

今年は寺社編(2)その名のとおり二度目の寺社を巡るツアーです。まずコースの下見を我々建築家と信州大学の学生と一緒に行いました。毎年雪や嵐に見舞われた下見ですが、今年は晴天に恵まれ気持ちのよいキックオフとなりました。本年度の松本市都市景観賞の最優秀賞をいただいた活動ですから手抜きが出来ません。受賞記念ツアーも企画しています。

 

3月10日

新潟県内大学卒業設計コンクール2019の審査員を務めて来ました。

3つの大学と1つの専門学校から選抜された15作品の審査です。各校の代表ですから既にレベルは高く、その中から入賞作品を選ぶのは大変な作業でした。

 

ここ数年の流行は社会性を持ち広範囲にわたる地域計画を立てる作品が多いこと。調査をし問題点を洗い出し解決方法を考えるという、大学生にはとっては大変なテーマであるにもかかわらず、それを見事に作品として発表できる力はたいしたものです。非常に優れた作品が多いのには驚かされるのですが、広範囲であるがゆえ建物の形そのものの表現としては弱くなってしまうのです。

 

建築家である以上、そこに出来上がった建物が評価の対象となるわけで、そのデザインに力を注ぐ学生が出てきても良いというか、評価の対象としてもう少し日の目を見ても良いのではないかと個人的には感じています。

とは言いながら金賞として私が推したのは、長岡造形大学の笹嶋さんの作品『生々流転』という漁村の再生計画でした。最後はこの作品と同大学の遠藤さんの『空間のあわいに』というまちづくり系の作品の一騎打ちとなり、一票差で笹嶋さんの作品が金となりました。

 

一言付け加えておくと長岡造形大学の田島君の、建物の造形力で押してきた作品には大変な力を感じ金賞でもおかしくなく、今後はこのような美しい形をきちんと表現した作品に眼を向けていきたいと個人的には感じています。始発で松本を出発し終電で帰るという超ハードな一日でした。

 

 

3月15日

交流委員会「仕事を語る会」

これが本年度最後の語る会でした。サロン的に作品を語り合う場を作りたいという気持ちから、このような会を開催してもらいましたが、内容的には大正解だったと思います。

 

自由に質問が飛び交い、それに答えるという関係は刺激的で勉強になることばかりでした。残念なのは参加者が少なくしかも限られた人が多かったということ。来年度は参加者を多くすることが目標です。

 

今年最後は吉田さんと新井さん。最近めきめきと力をつけてきた吉田さんのシャープな作品と地域材と地域にどっぷりとつかりながら、美しい作品を作り続けている新井さんの作品の解説を聞けるのですから、勉強にならないはずがありません。

 

3月20日

『建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル』の勉強会

松本城管理事務所に伺い後藤先生のレクチャーを受けました。今まで10年間、毎年私たちに歴史を教えて下さった先生も本年度で退官されるとのこと。本当にありがとうございました。これで最後というのは寂しいので今度は自宅に押しかけることにしましょう。実は私のすぐ近くに先生は住んでいるのです。

 

 

3月26日

『JIA関東甲信越支部地域サミット』

支部の地域会と委員会の合同会議が開催されました。それぞれの活動報告をして本年度最後の会議となりました。相変わらず東京都内の地域会の扱いに長く時間が割かれてしまい、結局県域地域会同士の話は行われることはありませんでした。県域独自の地域サミットを開いたほうがよほど有意義な時間がすごせるのではないかと、ちらっと思ってしまいます。

 

コーヒーブレイク 7

『竹中直人』

美大と言うところには不異議な人間がいっぱい居ます。様々な出会いがあるのですが、初めの出会いはアパートの隣の住人。彫刻科で色白美人タイプの色男です。妙に気が合ってしまい毎日彼の部屋に入り浸っていました。理由は簡単、彼の部屋にはテレビがあったのです。当時は高級品ですから学生でテレビを持っているやつなんてあまり居ない時代です。

 

ピンクレディーの全盛期ということもあり、二人で振りを目に焼き付けながら覚え、最後には踊れるようになってしまいました。きっかけは単純、酒飲みながら悪乗りで「ピンクレディー真似するぞ!」と宣言してしまったからです。ビデオが無い時代です。毎日出演するわけではありませんから出演しそうな番組は必ず見て、少しずつ少しずつ覚えていくという気の遠くなるような作業でした。一言付け加えますと当時の私は今のようなでぶでぶではなく、筋肉の塊のような体をしておりました。主に隣人が踊りを、歌は私が音取り担当です。コーラス部の練習が役に立ちました。

 

皆の勧めで学園祭(芸術祭と呼びます)の野外ステージで踊りながら歌うとめちゃめちゃ受けてしまい、各模擬店に出張して歌うはめに。完全に流しの芸人ですね。お金はもらえませんでしたが飲み食いはタダ。

 

もう一人の出会いは竹中直人です。同じ学年のグラフィックデザイン科なのですが、20人も美大生が居たからでしょうか私のアパートに出入りするようになり、物まねの新作は私の部屋で披露して皆の感想を聞いていました。

何が本音なのか分からない人を煙にまく感じは今と変わりませんが極めてまじめな男で、真剣に物まねを極めようとしていました。銀座ナウという番組で小堺一樹とチャンピョンを掛けて戦っていましたが残念ながら負けてしまいます。一方、在学時から映画を作っており「燃へよタマゴン」という作品で監督と主演を務めています。

 

ある日、竹中に「ライバル対抗大合戦」という番組への出場依頼があり、急遽周辺の芸達者を集めたのですが、なんと我々もピンクレディーで出演することになってしまいました。初めてのテレビ局は別世界です。テレビで見た人がいっぱい歩いていて、もうドキドキです。芸能人って生で見ると本当に美人なんですよ。学生の相手をしてくれるのは新人の芸能人ですが、片平なぎさと荒木由美子でした。

 

プロのメイクさんにメイク室というところでメイクしてもらったのですが隣の席は荒木由美子。この風景は想像を絶するものがありますよね。対抗戦はこちらが圧勝。優勝商品の象印魔法瓶をもらって帰ってきました。当時はビデオがなくて本当に幸せです。あんな映像が残っていたら一生の恥じですから。

 

 

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