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震災後に考えること

「震災後に考えること」(2011.08.15) 山口康憲(㈱アーバー建築事務所)

 

東日本大震災から5ヶ月が経ちましたが、3月11日以降このことが1日でも頭を離れたことがありません。

福島第一原発の事故の収束の目処が全く立っていないことが大きいとは思いますが、政治家や官僚をはじめとする日本人全体が国の将来を左右するような大きな問題に対して全く決断できなくなっている、という漠たる不安なのではないかと感じています。

 

『時代を画する』という言葉があります。ある大きな出来事をきっかけにものの考え方や社会のありようが変わることを指す言葉だと思いますが、本日8月15日をもって「戦後」66年が経過しました。「戦後」は平成23年3月11日をもって終了し、それ以降は「震災後」と呼称されるようになる、と断言する言論人もいます。これには様々な側面があると思われますが、最も本質的な問題は丸山さんが7月27日の『天譴』に書かれているようなことだと思います。明治維新以降わが国が押し進めて来た西欧を手本とした近代的世界観(技術文明への盲目的な信頼)によって失ってきた日本人の伝統的な精神や宗教観が、今回の歴史的な大災害によって無意識のうちに立ち上がってきたということかもしれません。これに関しては個人的な考えもありますが、ここでは一技術者の立場から、科学技術としての原発についての意見を述べたいと思います。

 

原発について私は消極的賛成の意見でした。賛成の理由は、エネルギーは国の根幹に関わる事項なので、先の大戦の反省を踏まえ多角的で自前の技術で発展できるものを含めるべきで、原発はその一翼を担えるということです。消極的にならざるをえない理由は、高レベル放射能廃棄物処理の技術が確立されていないにも関わらず、100%安全だと強弁するいわゆる原子力村への不信感です。理論としては100%はあると思いますが、人間のやることに完璧は無いというのは常識なので、原発は安全なのだから東京湾に造ればいい、と皮肉を込めて言っていました。

 

福島の原発事故は「人災」だと言われます。“都合の悪いことは隠す”という民主党の体質によって放射能被害を受けたと思われる人達と大きく毀損した国益は「人災」によるものですが、しかし地震がなければ発生しなかったのですから当然「天災」でもあったのです。また「想定外」という言葉が批判されますが、科学技術は想定しなければ設計できないのだから問題はどのような想定だったかということでしょう。どうやらそれは100%安全だと言った手前深刻な事故への対応が考えられていなかったらしいということと、津波でやられたと言いながら、実は配管、配線が津波の前に地震でやられていたらしく、その耐震基準は「震度5」だったらしいということです。震度5といえば言うまでもなく建築基準法の最低基準ですから、この話が本当なら言うべき言葉を失ってしまいます。そしてこの2つに共通するのは『官僚の無謬性』という、昭和の敗戦の一因にもなり又15年以上我が国を覆う閉塞感の元凶とも言える問題です。「人災」という抽象的な言葉が逆に事故の原因を分かりにくくし、東電をスケープゴートにしているようにも感じています。

 

もう1つ私が大きな問題だと感じるのは、自分のことしか考えないマスコミを含めた内向きの国民の気質についてです。「脱原発」とは現在の便利な生活を放棄するに等しいと思いますが、果たしてそこまで覚悟しての発言なのか。東京で「反原発」を叫ぶなんて自己矛盾も甚だしいと思います。また、食しても全く問題のない牛肉を全て廃棄処分にしてしまう責任回避でしかない対応とそれを強要する放射能アレルギーは、被爆国という特殊事情を考慮しても集団ヒステリー状態だと思います。福島原発周辺の放射能被災地を除けば、過去40年以上に渡る東トルキスタン(現新彊ウイグル自治区)のロプノールでの46回の地下核実験による放射能が偏西風によって日本に降り注いだ量は今回の事故とは比較にならないくらい多いようですが、中国政府の反発を恐れる政府とマスコミはそれを報じようともしない。また、我が国の原発の技術はアメリカが技術協力を依頼する程で世界の最先端をいっているようだが、制御できない技術だから廃止すべきと言う人達は中国が現在14基の原発を稼働中で今後27基の増設を目指しているのを知らない筈はないと思います。最近稼働を始めた原子炉は中国独自の技術によるそうだが、これはつい最近の高速列車事故を見るまでもなく我が国にとっては悪夢だろう。

 

私は冒頭“決断できない日本”という表現をしましたが、それは“誰も責任を取らない日本”と同義です。現在の日本は様々な法律によって官僚は責任を取らなくてもよいようになっています。また官僚の責任を追求すると原因究明もしなくなるので、組織や個人の責任追及は諦めて徹底的な事故原因の追求をすべきでしょう。そしてその情報を全て開示した上で現在考えうる最も安全な原発を開発し、その技術を世界に広めて行くことが求められていると私は考えます。ドイツとイタリアとスイスと日本が脱原発に行っても、世界中のその他の国は肯定的なのです。日本が再軍備をしなければ世界は平和だ、みたいなナイーブで無責任な発想で原発を語るべきではないと考えます。

 

一技術者の無責任な“ひとりごと”は以上ですが、最後に一国民としての願望は『日本人としての精神の復興』です。同時にそれが建築においても『時代を画する』ことになってほしいと思います。1ヶ月後に迫ったUIA東京大会で何が語られるのか楽しみです。

 

 

     2020/09/10  事務局ブログ, 建築家のひとりごと

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