田舎暮らしに思うこと

公益社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 長野地域会

田舎暮らしに思うこと

「田舎暮らしに思うこと」(2014.10.17) 平井敦典(ひらい建築設計事務所)

 

小学校へ通っていた子供の頃、東京から転校生がやって来ました。

髪の毛が長くて都会的な可愛い女の子!….を期待してたのですが、現実はちょっと気の弱そうな男の子で、失礼ながらガッカリした記憶があります。

彼はハヤシ君という名前と細めの体つき、そして東京からやって来た事からモヤシ君なんて不名誉なあだ名を付けられてしまいました。しかし彼はひと冬過ぎるとスキーが上達し、僕らと変わらないワンパク小僧になりました。

 

昔は何処へ行くのも徒歩か自転車が当たり前。とんでもないところまで遊びに行って、日が暮れて帰宅したときなんて親にこっぴどく怒られたもんでした。

それが今では近所のコンビニさえ車で行っちゃう体たらく….。電鉄は廃線、JRは一時間に一本の田舎暮らしに車は必需品ですが、依存度が高くなっている事に反省しなくては….。

 

 

東京に行くと昔モヤシっ子とからかった都会の子供たちが、満員電車で立って通学し、徒歩で街を歩き廻る姿を見ると少し考えさせられます。

我が田舎は全国有数の豪雪地帯。本来、体力的にも精神的にも鍛えられて良いように思いますが、学校に遅刻しそうになると親が車で….なんて話も良く耳にします。色んな意味で、今では都会の子供の方が逞しく見えても仕方ないのかも知れません。

 

現在、我が田舎の小学校の児童数は僕ら世代の半分ぐらい。私の通った高校は随分前に街の中心から郊外へ移転となり、そこには大きな病院が建ちました。その移転した高校も統合され今度は反対側の街外れへ。もぬけの殻となった校舎には街を見下ろす高台の中学校が滑り込むとのこと。

 

訳の分からんお話でスンマセン。何を言わんとしてるかというと、結果→街の中心から学校が無くなって子供たちの姿が消えてしまったということ。昔のように草の生えた堤防をかけずり廻り、泥んこになって遊ぶ子供たちを最近ではほとんど見ることがありません。

 

来年の3月にはそんな田舎の街に新幹線がやってきます。

駅は既にほぼ完成し毎晩のようにE7系が試運転しています。おそらく何も方向性が定まってない駅前でも、広場だけは整備が進んでいます。のんびりした田舎も大きく変わろうとしていますが、無くしてはいけない物ってあるような気がします。

 

先日、朝の日課で犬と散歩している時のこと。

近所の水路で沢ガニを見つけました。時期になるとホタルもチラホラ見ることが出来ます。友人宅の裏に流れる水路には沢ガニの他にドジョウもいます。小学生の息子さんが網を構えて捕まえていました。「捕まえたのどうするの?」と聞くと彼は胸を張って
「リバースする」と答えてくれました。「惜しかったね、それはリリースが正解ダヨ」と友人が教えてる姿は田舎でしか味わえない微笑ましい時間なのカナ?と少し懐かしくなりました。

 

他の友人は最近、散歩ならぬ「散走」なるものを始めました。

自転車で地元を見て廻るから「散走」なのだそうです。車を降りて散走することで普段見えなかったものや、新しい出会いがあるようです。私も依存度が高くなった車から降りてすこし散走なるものでもしてみようかなと思っています。

 

 

街の中から姿を消した子供たちを再び呼び戻すには?、そして新たな駅前を活性化させるには?

色んな意見もあると思いますが、実は私たちのすぐ傍にヒントがあるのかも知れません。自然は色んな事を教えてくれると同時に人間を鍛えてくれます。ひと冬で逞しくなった転校生のように心も体も鍛えてくれます。時代に流されることなく大切なものを見失わないこともまちづくりのひとつだと思います。

 

そして今さらながらですが、私の暮らす田舎は飯山というところです。自然だけは(特に雪だけは)イッパイあります。発見を繰り返すことで少しでも成長し、好きな仕事に携わっていければ、田舎暮らしも楽しい限りです。

 

 

Copyright©JIA長野県クラブ, All Rights Reserved.