建築家は存在してもいいのかな?
2006年08月01日
「建築家は存在してもいいのかな?」(2006.08.01) 荒井 洋(HAL設計室)
先日NHKでワーキングプアーの番組を放映していました。聞き慣れない言葉ですが、働く意思も能力も有るのに就職できない、あるいは能力がありかつ働いているにもかかわらず、日々の食事にさえ困っている人々が急増していると言う内容です。一方でバブル期の様に飽食におぼれ、贅沢三昧を繰り返す人々もいます。汗水流して働く人が貧乏になり、頭脳労働をしている人達が裕福になる。それが加速していると思えます。
いつの世も貧富の差は有るのでしょうが汗水流す人が報われない世の中は間違っています。日々の食料を誰が作ってくれたのでしょう?コンピューターが作ってくれたんですか。本当に暗くなってしまいました。
さて我々建築家の存在意義は何なんだ?と自問してみました。建築家が居なくても住宅もビルも出来てしまいます。世の中が本当に不景気になってしまったら建築家に設計を依頼する人が居なくなってしまうかもしれません。それでは今の内にがっぽりと儲けてしまおう。と思っても建築家なんてぜんぜん儲かりません。
一軒一軒手仕事で図面を描いていますから職人と同じで動いた分しか儲からないのです。頭脳労働者でも裕福になれない実に中途半端な存在で。それでは生き延びるためには何が必要なのか?社会にどれだけ貢献できるかということに尽きるのではないかと考えます。建築技術の発展にずば抜けた功績を残す。極めて新しいデザインを追求して未来の建築を誘導していく。こんなことが出来る人はホンの一握りの人達です。
災害に強い山を作るためにも間伐は絶対に必要なことです。間伐を推進するためには利用を推進しなければなりません。信州の建築家として出来ることの一つに、積極的に県産材を使える仕組みに係わっていくこと。県産材を使った魅力有るしかも景観に配慮した建物を設計することがあります。
森林から住宅の完成までスムーズに流れる川を作ることが出来れば労働者の大きな受け口となるに違い有りません。その他環境負荷の少ない住宅の建設等々・・・ただ見た目の良い建物を設計するだけではもうダメなのかもしれませんよ。JIA長野県クラブの皆さん、存在しても良い建築家になりましょう。