JIA長野県クラブ「代表日誌」 2017年4月

公益社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 長野地域会

JIA長野県クラブ「代表日誌」 2017年4月

JIA長野県クラブ 山口代表より「代表日誌」2017年4月 が届きました。(2017年4月30日)

 

4月5日 

先月14日に報告した建築トラブルの現地へ長島さんと伺った。

現状の確認を行い、今後の予定をお聞きした。前回追加請求した資料は24日までには届く予定とのこと。それまでに今回確認した不具合箇所の改修の見積書を作成することになった。4項目あるが工種が全て違うので、建設会社にまとめてお願いしようと思う。

 

4月6日

第9回常任幹事会:13日の役員会の議題を検討する。

2017年度の委員会構成を確認した。基本2期4年が限度で3期は特別の事情がある場合に認めるという決まりだが、ある委員会は委員長以下委員全員が3期で提出されている。私の所属する災害対策委員会だけ次期委員長が決まっていなくて、暫定で委員長代理を受けていたが、そのような役職はないということなので、支部長から退任する予定だった中山委員長に再任を打診していただくことになった。常任幹事会では委員会の再編・合理化の議論を始めていて、19の委員会を11くらいにまとめられないか検討中である。

 

今年の総会時の会員集会は“JIA支部活動について”のテーマで広く意見交換することになった。

1月の時点では今年度600万円の赤字予測だったが、200万円の黒字になる見込みらしい。しかしこんなことで計画を立てることが可能なんでしょうかね? 関東甲信越支部は、財務は事務局に任せきりにしないで担当部署あるいは担当者を決め、財務・収支だけを専門に見ている必要があると感じた。来年度は430万円ほどの赤字予算だが、2018年度からの黒字化を目指して聖域なき支出の削減を検討していた。なお、県域の地域会活動費に関しては当面削減されることはなさそうです。

 

4月7日

かねてより来年度の建築祭の講師をお願いしていた三分一博志さんの事務所から連絡が来た。学生の指導は行わないことと、講演は200人以上の規模でなければ受けないということであった。この条件だと松本市美術館で行う建築祭では無理だと思うが、北村委員長に連絡し委員会で協議していただくことになった。1ヶ月ほど検討の時間をいただいたが、三分一さんは難しくなりました。

 

4月12日 

出版全体会議:3月31に発刊された「信州の建築家とつくる家」13集の反省と次集への意見集約の会議が開かれた。

参加者からは建設的な意見が数多く出されたので、全般的に好意的に受け止められていると私には感じられた。31人全員が満足する出版はまずありえないが、今回の批判も含めた様々な意見を積み上げて、より良い本作りを目指すことが求められている。

吉田委員長、荒井担当副委員長からは反省を含めた総括を行っていただいた。特に編集者と参加者の間の調整役を献身的にされた川上設計の山田さんへの感謝の言葉が述べられた。山田さん本当にありがとうございました。

新年度は年内の発刊を目指して、委員会としてさっそく活動して行く方針が示された。本作りは本当に大変ですがよろしくお願い致します。

 

2016年度監査:2016年度の事業と収支について丸山、有賀両監査役の監査を受けた。

細かな不整合があり、丸山監査からは厳しいご指摘をいただいたが、無事ご承認いただいた。

本部・支部では収支のまとめは新・新会計方式に則っているが、当会では事業別の旧会計のまとめ方で総会でも説明していて、佐藤さんには2つの会計方式で提出させるという大きな負担をかけている。不備があるとしたら全て私の責任であり、監査に臨む際にもっと細かなところまで目を通すべきであった。大変反省しております。

 

第5回幹事会: 21日の会員集会と通常総会関連の議題を審議する。

11月の幹事会で来年度の予算案は了承いただいているが、3月31日付の収支が確定したのでそれに合わせる形で修正したものを審議していただいた。総会においては2016年度の事業報告と収支決算報告は議題だが、新年度の事業案と予算案は報告事項である。新年度に関しては幹事会の承認事項となるので、なるべく詳細な説明を心がけた。収入と支出で項目の不一致を指摘されたのと、私の方針にもっと前向きな姿勢を盛り込むよう意見が出された。共に真摯に受け止め修正したうえで承認された。2016年度は未収金が30万円以上あり、繰越額が例年より少なくなってしまったので、早急に催促することになった。

 

4月13日 

第4回支部役員会: 5月18日の通常総会の議案は特に異論もなく承認された。

前回(1月31日開催)承認された2016年度の収支予測と確定値が800万円差が生じたことに関しても、事務局が説明した要因で納得されたようだ。前回承認されているので今回審議事項ではなかった2017年度予算案への疑義も出されなかったので、常任幹事としては正直ホッとしたところです。2017年度委員会構成も承認された。19委員会の中で規定通り2期以内の委員で構成されていたのは5委員会だけであった。特に私が所属する災害対策委員会は委員長・副委員長不在という支部始まって以来の異常事態で、この構成を提出すること自体懸念されていたが、なるべく早く決定したいということと、新委員長が決まるまでの間に災害が発生した場合は、山口を中心に対応に当たるということで承認していただいた。これだけを見ても支部の委員会構成に限界が来ていることが伺われる。

 

2018年のJIA全国大会実行委員会設立と委員承認もされた。長野県クラブから選出した山口満さんにもようやく活躍していただけることになった。

 

協議事項として、このところ常任幹事会で協議してきた財務改善の方向の報告がされた。財務と委員会構成及び東京地域会の扱いについて活発な議論が行われた。東京については、支部長が私案をこの場で発表するか常任幹事会でも意見が分かれたが、反発があっても発表することで議論が始まることを選択した。現在の地域会は残した上で、3つか4つのグループ分けすることで人材の登用と財務の改善を目指す考え方である。今回始めての意見交換ではあったが、区単位の地域会は現状肯定的意見が強く、城東・城北・城南・三多摩地域会は、改革案を肯定的に受け止めていたように見受けられた。東京都に対する顔を作るということもあり、議論は始まったばかりである。

 

今回から次期役員として西澤副代表が、監査役として赤羽相談役が参加された。今回と次回はオブザーバー参加だが、私は次回をもって支部役員を退任となります。素直に嬉しい!! この日誌もボリュームが半減することでしょう。

 

4月19日 

建築トラブルの現場へ日頃おつきあいさせていただいている建設会社の方と確認に伺った。瑕疵について調査し、見積をお願いした。

 

4月21日

今日は2017年度の通常総会で、進行に関わるメンバーで事前に事務局に集合した。

佐藤さん作成の進行マニュアルの読み合わせを行いながら細部を調整した。昼食は会員集会にご登壇いただく皆さんとご一緒させていただいた。

 

会員集会:「宮本忠長先生の思い出を語り合う会」

進行役を宮本事務所の荻原さんに、須田、松下、高橋、赤羽相談役の皆さんと事務所OBの久保田さんをパネラーにお招きして、JIAとしての宮本先生の追悼企画を行った。

まず西澤副代表から、大学時代から佐藤武夫事務所(現在の佐藤総合設計)を経て独立し実績を重ねて行く過程を、旧長野市庁舎・長野市博物館・北斎館と小布施のまちなみ修景事業・松本市美術館などの代表作を中心に、スライドを用いて丁寧に紹介していただいた。

続いて松下相談役からJIA以前の設計監理協会の時代からの宮本先生との関わりと、どのような役割を果たされたのかをお話しいただき、引き続きパネラーの皆さんのお話を伺った。久保田さんからは北斎館設計当時から初期の事務所の様子が窺い知れるようなお話を、須田さんは事務所協会→設計監理協会+旧家協会→新建築家協会→JIAの流れと、地域会設立を宮本先生がまとめて行った経緯をお話いただいた。高橋、赤羽相談役は直接先生との交流はなかったようだが、高橋さんは、先生は地方で活動する建築家の手本で常に気になる存在であり「ローカル建築設計室」という事務所名に込めた思いを語り、赤羽さんは東門建築会でお会いする程度だったが、会長を引き受けてから意識するようになったことと、JIAの本部・支部で長野地域会が評価されていることが先生に行き着くことなどをお話しされた。

 

荻原さんの巧みな進行もあり、大変貴重なお話を数多く聞くことができた。会場からも意見が出されたが、私自身は様々な意見やお話を聞きながら、ほとんど何もないところから先生の強い信念で誕生したJIA長野県クラブは、30年を経た今多くの皆さんのご支援をいただきながら様々な活動を行っているが、先生の望んだ会になっているのか、先生はどう思われるだろうという考えが自然にわき上がり、先生のお姿が走馬灯のように頭の中を駆け巡るような不思議な状態に陥っていた。

今日の集会に若い会員はほとんど参加していなかったが、若い人たちにこそ聞いていただきたいお話の数々であった。テープ録音できなかったことが返す返すも残念である。

私の先生への思いは1年前の建築家通信109号に書かせていただいたが、拙文だが再度ここに載せることにする。

 

宮本忠長先生を偲ぶ

 さる2月25日宮本忠長先生が逝去されました。戦後70年を数え、事務所設立50周年にあたる年に不世出の建築家が去り、1つの時代が終わりました。

 先生は地方から情報を発信し、全国で注目を浴びる先駆けとなりました。地域の風土を読み、文化・歴史を尊重し地域に暮らす人々に想いを寄せ、その場所に最も相応しい建築を考え抜くという設計思想は、私には近代建築のインターナショナル・スタイルのアンチテーゼに見えました。

 小布施町のまちなみ修景事業は、歴史的な町並みや保存に値するような民家も集落も特になかった町の中に1つの建築が生まれ、それが地域の人たちの共感を得ながら点が線になり、さらに面へと広がって行った。一人の建築家が熱意を持った地元の人たちと長い時間をかけて造り上げたもので、わが国のまちづくりの歴史でエポックメイキングなものとなりました。

 私は、先生はわが国の戦後の建築史に必ずや名を残す大建築家であると思います。JIA長野県クラブは宮本先生によって生まれ、先生に憧れや共感を持って建築の道に進んだ会員も多いと思います。微力ではありますが、先生の求めた地域に貢献する建築家の役割を誠意を込めて果たして行きたいと思います。

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

2017年度通常総会:長野県建設部から岩田建築技監、林務部から中宿課長補佐、事務所協会の小河会長、県木連の松本事務局長、新建新聞社の酒井さんを来賓にお迎えし、代表を拝命してから3回目の通常総会を開催した。

昨年度、自分なりに考えた将来を見据えた組織の改革と新たな事業の可能性を探ってきたが、設立30周年を迎える2017年度の活動内容は基本的に昨年の継続をすることで、ぼんやりとでも形にしたいと考えている。

2016年度の事業ではHPのリニューアル、建築家通信の内容刷新、「信州の建築家とつくる家」の新たな試みと温熱教室の開催が、上記方針に当たる事業であった。それに伴い事業費は例年に較べ150万円ほど多い約800万円規模となった。収支はほぼ均衡し、一昨年度からの繰越と同程度になった(未収金の関係で実際の額は少ない)。事業報告、収支決算報告ともにご承認いただいた。

 

2017年度は広報委員会関連は、継続で目的の完成度を高めたい。他にも温熱教室は実務編の開催とフィールドワークなどで、地域貢献と会員の資質の向上につながる事業を展開する。予算は細かく微調整しながら、約700万円で組み立てたことを君島会計幹事に丁寧に説明いただき了承いただいた。無事通常総会が終了できたことをこの場をお借りして関係者の皆様に御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

 

懇親会:岩田建築技監、小河事務所協会長にもご出席いただき42名が参加して盛大に開催された。

長野県の建築行政トップの総会ご出席は、当時の小澤建築技監から始まったと記憶しているが、岩田建築技監には3年連続でご出席いただいている。こうして懇親会にもご参加いただけるのは大変名誉なことである。せっかくの機会であるにもかかわらず、支部から誰も来ないのはあまりに残念であるし、前代未聞の出来事である。都合が着くとか着かない以前の問題で、私は大変憤慨している。きれいごとを並べてみても、地域会はどうでもいいと思っている証である。

最初気分は相当に悪かったが、多くの皆さんのお顔を拝見し、お酒が入るとそんなことはさっぱり忘れて大いに楽しい時間を過ごさせていただいた。

皆さん、山口はようやく今年で最後ですので、ご協力の程よろしくお願い申し上げます!!

その後3次会まで続き日付が変わる頃長い1日が終了した。

 

4月25日

北村事業委員長からメールがあり、三分一事務所からの3項目の要望は、松本市美術館では全て満たすことはできないのでお断りしたいということである。

さっそく事務所の窓口になっていただいていた池谷さんにその旨をお伝えした。

昨年10月から企画し交渉を重ねてきたが、当会としては非常に難しい条件を提示されたためにお断りする次第となってしまいました。

 

4月28日

建築トラブルについては現在見積依頼中だが、今までの1回の打合せと2回の現地確認を経て認識できたことと、私の所見を文章にまとめて弁護士事務所で打合せを行った。裁判を通じて要求していた追加資料は、工事写真が一部提出されただけで、こちらが知りたい情報は何もなかった。私は役員会等を通じ再三申し上げてきたが、この依頼を引き受ける際に収益事業の可能性を探ろうとしていたが、見積提出までは無償で行っている。しかし今日の打合せで更に関わる可能性が出てきた。私は費用が発生した時の業務報酬は会として受け取りたいという意向だが、その場合会の代表として名前を出す事になる。本部を通じての紹介であり、もしこれが私個人に依頼が来たならお断りしていたかもしれない。

 

午後委員会出席で東京へ行ったので筒井専務に相談した。訴訟にまで発展した建築紛争にはJIAは関与しないという明確な方針である。したがってこれからは私個人の判断で、関わるべきかも含め決めなさいということである。

会としてではなく、1級建築士たる私個人で関わることになるので、連休明けにでも依頼者と今後のことを相談したいと考えている。

この件に関して代表日誌で報告するのは今日が最後になる。

 

JIA災害対策委員会:中山前委員長、松下副支部長と私の3名で委員会の今後について話し合った。支部長の意向でもある、常任幹事会に担当を置く件に関しては、松下副支部長が手を挙げて下さった。副支部長は日建設計におけるBCPの責任者というお立場で、社内の災害時の責任者であると共に、都道府県や市などで講演会や助言を行っているそうで、対東京都とJIAの関係構築には最も適した方かもしれない。しかし、災害時はクライアント対策で陣頭指揮を執らざるをえないので、JIAの責任者としての活動は難しいということである。

中山さんから今までの活動内容やJIAに於ける災害対策の経緯を説明し、現状の問題に対してどう取り組むべきか意見交換した。委員長が決まらないという状態が続くと委員会の存続も危惧される中で、まず委員会として東京の会員の中から委員長を選任し、東京都との関係は松下さんが担当し、災害時の対応は主として私が担うということになった。

 

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