JIA長野県クラブ「代表日誌」2019年1月
2019年02月04日
JIA長野県クラブ荒井代表より「代表日誌」2019年1月が届きました。(2019年1月31日)
1月9日
今年初めての仕事は県庁での挨拶回りです。いつもお世話になっている建設部と林務部に「今年もよろしく」と挨拶してきました。縦割り行政の中で林務部と建設部を繋ぐ役割がもっと出来る様になりたいと考えています。
1月10日
事業委員会
建築祭が2月16日に開催されます。準備作業も大詰め、役割分担が決まり始めました。
原田真宏さんの講演が楽しみです。新しい試みのギャラリートークが今年限りということにならないよう、参加者が集まることを会員の皆さんも祈念してください。
1月16日
幹事会
私の幹事会への準備が悪く決算報告ではまともな発表が出来ませんでした。総会に向けてきちんと把握して会計報告ができるよう清水会計幹事と協力して進めて行きます。再来年からは支部からの活動費が減る可能性があります。一番の対応策は会員を増やすことです。
そのためにも魅力的なクラブとなるよう益々の努力が必要です。
1月23日
松本市勤労者福祉センターにおいて『木構造の耐震改修スキルアップ講座~ヤマベの耐震改修』が開催されました。
山辺豊彦先生の講義では今後の地震想定から始まり熊本地震等の被災現状の説明があり、耐震改修の重要性を痛感させられました。講義内容は改修だけに限らず新築物件での木構造設計に役立つものばかりで、梁の接続位置など、疎かにしてしまいがちな部分にも危険が潜んでいることに気づかされました。
1月27日
松本市景観シンポジウム
松本市景観賞においてJIA長野県クラブの活動にもなっている『建築家と巡る城下町みずのタイムトラベル』が最優秀景観賞に選ばれ表彰されました。ツアーによる街並み・景観の普及啓発活動が認められたもので活動部門の応募作品に贈られたのは景観賞表彰を始めて初めての事です。
活動にストーリー性があり、具体的な成果が見えること、継続性が期待できることが評価されました。10年間続けられたこと、大学生を巻き込んだことなど、様々な要因は考えられますが、継続することこそが景観啓発に重要なことだと思います。
みずのタイムトラベル主要メンバーによる記念撮影です。
JIA長野県クラブ会員のほかにも建築士、都市計画家、大学生、一般市民など様々な人が関わっています。
後半は建築士会主催の景観フォーラムです。
西村幸夫先生の講演「都市景観をどのように守り育てていくか」につづき、パネルディスカッション「まちづくりの先へ」が開催されました。
松本市には 松本城周辺の建物の高度規制「大谷レポート」という物があります。東京大学の大谷教授が作成したものですが、西村先生も当時の大学生として内容を良くご存知で、当時このような景観に関する規制が具体化できた例は極めて珍しい と講演で語っていました。
パネルディスカッションには私もみずのタイムトラベル案内人の代表としてパネリストとして出させていただきました。他のパネリストは東京の人です。アルプスはなによりもの景観要素だと。松本はそれだけで恵まれてるんだから頑張れ と言われている感じで、地元の私としては「はい頑張ります」と言うしかありませんよね。
1月30日
地域材を語る会
今回は会場を安曇野市庁舎に移して開かれました。県林務部県産材利用推進室、南相木村、北相木村、松本市、安曇野市からも職員が参加してくださり、大変盛り上がった話し合いが行われました。ついでに安曇野庁舎を尾日向さんの案内で見学できました。
コーヒーブレイク5
『隣のクラス』
受ける大学がない高校生は、一応美術部で毎日石膏デッサンをしていましたのでとりあえず美大の建築科でも受けてみよう、というほとんど捨て身の作戦に出ます。実は建築科といえども実技試験のレベルは相当高く、散々な結果でした。試験の前日に一夜漬けでやった数学の過去問がピタッと当たり、そのおかげで入学できたようなものです。つまり美術の実力は同級生のレベルには達していないし、建築に興味があったわけではありませんので入学した時点ですでに落ちこぼれです。
同級生は全部で60人、今と違い製図板とT定規の世界です。一人ひとりの占有面積が大きいため、とても一つの部屋には納まりませんので、30人ずつ二クラスに分かれていました。
隣のクラスに行くと、鼻歌を歌いながら図面を書いているいかつい男(M君)が居ました。運命の出会いというやつです。ブランデンブルク協奏曲第3番をニュアンスまで含めて完璧に歌っていました。久々のクラシック音楽に思わず「クラシック好きなんだあ」と生意気な口調で声を掛け、その後現在までその男とは付き合いが続いています。(東京でコンサートがあるときは泊まらせてもらってます。泊まるというより朝までクラシック聴きながら飲んだくれています。)ところがこの男のクラシックのレベルは桁違いに高く、すぐに生意気な態度を悔いることになります。
私のクラシックの聴き方は一曲に一つの演奏で沢山の曲目を聞くことで満足していましたが、彼は一つの曲を何人もの指揮者や演奏者で聴き比べていたのです。その話を聞いてもなんのことやらちんぷんかんぷんの私に、ある日カセットテープが手渡されました。その中にはベートーヴェンの交響曲第5番の演奏が何種類も入っており、極め付きがフルトヴェングラーの指揮だけで5種類もの運命が録音されていました。
目から鱗が落ちるとはこのことで、クラシックの奥深さに完全に打ちのめされ、その後の ”クラシックおたく人生” が決定してしまいました。
学業の方は、周囲とのレベル差に落ち込みながら必死に課題制作した結果なんとか進級できました。2学年に進んだのは40人。なんと20人も留年です。鬼のような学校です。ちなみに同期で現役卒業できたのは19人、本当に鬼でした。