JIA長野県クラブ「代表日誌」2018年2月
2018年03月01日
JIA長野県クラブ 山口代表より「代表日誌」2018年2月が届きました。(2018年2月28日)
2月12日
「建築家 宮本忠長展」挨拶文作成
17日(土)、18日(日)に開催される第12回建築祭の第1回会員作品展「建築家 宮本忠長展」の挨拶文を書いた。一昨年の建築家通信の追悼文、去年の建築士会主催の展覧会に出版された図版集に掲載された文章に続いて3回目の文章である。著名な建築家でも亡くなって2年もすると話題になることも少なくなっていくものだが、宮本先生は没後益々輝きを増しているように思える。自信はないが、そんなニュアンスを汲み取れる文章を目指したつもりである。
「建築家 宮本忠長展」の開催に当たり、主催者を代表してご挨拶申し上げます。
宮本先生は昭和2年に須坂にお生まれになりました。早稲田大学卒業後佐藤武夫設計事務所に勤務され、昭和39年に長野市に宮本忠長建築設計事務所を開設されました。その後52年間に渡り、常に信州から情報を発信し全国でご活躍されました。
“ソトはミンナのモノ、ウチはジブン達のモノ”という理念で知られる「小布施のまちづくり」は、約35年前に生活環境整備として行われた「小布施町並修景事業」の考え方がまち全体に広がり発展してきたものです。ここから「修景・まちづくり」という言葉が生まれ、全国に広がって行きました。
また「長野市立博物館」を始めとする個々の建築においても、歴史と風土を尊重し、その建築が建つ地域に暮らす人々に思いを寄せ、そこに最も相応しい建築を考え抜くという設計思想は、戦後の風潮に棹を差し時代の先駆けを果たすとともに、現在では当たり前とも言える指針となりました。
2年前に先生はご逝去されましたが、先生の遺された設計思想と数々の業績は今後益々輝きを増すであろうと確信し、本展は回顧展ではなく未来に向かっての信州の建築を展望する展覧会と考える次第です。
先生の後期の代表作である松本市美術館において本展が開催されますことをお喜び申し上げますとともに、開催にあたりご協力を賜った美術館、宮本事務所を始めとする関係者の皆様に心より感謝を申し上げます。
2月16日
松本市美術館で午後から建築祭の準備が行われた。私は松本で他の用事もあり途中から参加した。今年から建築祭はJIA単独開催となり、例年行われている「文化講演会」、「長野県学生卒業設計コンクール」の他に復活する「会員作品展」として「建築家 宮本忠長展」が、昨年10月に小布施で行われた『宮本忠長展 五十二年の軌跡』よりやや規模を縮小して行われる。
事業委員会を中心とした皆さんは、経験豊かでテキパキと作業をこなしていくが、私は右往左往するばかりであった。また協力会からも多くの方が応援に駆けつけていただいた。特に宮本忠長展の方は岸本、丸山両副会長をはじめ獅子奮迅の活躍ぶりであった。多くのご参加をいただいたのは、有賀監査役のお声掛かりがあったと聞いた。この場をお借りして御礼申し上げます。
またご準備いただいた宮本夏樹さん、西澤副代表、宮本事務所の皆様にも感謝申し上げます。
2月17日
第12回建築祭 「ひと、まち、建築 見つめようくらしの場2018」
通算で第12回目であり、松本市美術館を会場に移して10回目の建築祭がスタートした。
「建築家 宮本忠長展」
今回開催に至った経緯と10月の小布施の建築展で内容に関してはすでに述べているので、重複を避けるためにここでは詳細は触れないことにする。小布施とは違って1室での展示なので構成は非常に分かりやすいものになった。文化講演会の中山講師も長野市博物館の階段手摺の手書きの詳細図などをご覧になりながら、感嘆しきりの様子であった。
会場は午後の講演会場も兼ねているので展示をいったん片付けて、明日に備えて講演終了後に再展示するという非常に手間のかかる段取りだったが、予定の時間内に準備できたのはさすがです。
「長野県学生卒業設計展」
恒例となった設計展も2日間行われる。これを通じて一般の方々の建築に対する理解を深める一助となり、市民賞への投票が盛り上がってもらえれば幸いである。
「第26回文化講演会」 講師:中山英之氏「これまでつくってきたもの」
JIA長野県クラブ設立30周年、松本市美術館における10回目の節目の講演会講師として建築家であり、東京芸術大学准教授の中山英之氏をお招きした。多くの大学で講師として学生を指導し、JIAでは昨年から全国の学生卒業設計コンクールの審査員を勤められ、将来を嘱望されている若手建築家として学生にも絶大な人気を誇ると聞いている。また伊東豊雄建築設計事務所時代に「まつもと市民芸術館」の担当責任者を務め、さらに独立第1作目の住宅「2004」は松本市に建設されるという、松本に非常に縁のある「建築祭」に相応しい建築家として講師を打診したところご快諾していただいた。
中山先生の建築は一見すると私には不思議な感覚を呼び起こす。内部空間は今まで見たことがないような形だし、内部と外部の関係もかなり独創的である。
2010年の「スケッチング」は神戸芸術工科大学における特別講義をきっかけに出版されたものだが、敷地にビッシリと生えているクローバーや雑草を手がかりに数多くのスケッチを描き、その中から空間を構想していくという製作スタイルは、従来の建築計画学に縛られている私のような平凡な人間には想像もつかないが、実際に立ち上がってくる空間は論理的でかつ精緻なものであり、かつスケッチのイメージを彷彿とさせる繊細で人間の感覚に寄り添ってくれると感じさせる優しいものである。
講演はその「スケッチング」で紹介された建築も含め、多くはそれ以降に建設され、あるいは構想中のものも含めて思考過程を丁寧に説明された。先生の敷地からの情報の捉え方は独特で感覚的なもののように感じるし、具体的に手が描き出す線や形はふわっとしたイメージから始まるが、説明をお聞きすると全く違和感はなく必然性すら感じることができるのは、決して思いつきではなく、理詰めで構築されているからだろう。
例えば「弦と弧」においては、高さ7.5mの円筒形の空間に大小10枚の床が組み合わされている。7.5mといえば、私の平屋の事務所の吹き抜けの高さだが、10の高低差のある床である!これは床というよりは段差のようなものだ。大小の鋼材の交錯は気まぐれのようにも見えるが、注意深く構成され、夫婦の仕事場兼住宅をよりクリエイティブな場にしてくれるだろうと予感させる空間であった。その思考過程はこじつけではなく非常に説得力があり、恐らく多くの矛盾を解決し、何事もなかったように整然とシームレスに組み合わされていた。
とかく新しいと感じさせる建築は小さな矛盾を抱えつつも、それを遥かに超える魅力がないと評価の対象にはならないのだろう。先生の建築は独特のものだが決してアバンギャルドというのではなく、私はそこに新たな建築の誕生を垣間見た気がした。現在は将来に向けての揺籃期だとしても、必ずや大きく脱皮し、大輪の花を咲かせるだろうと感じた次第である。
会場は学生をはじめ若い人たちが詰めかけ、質問も多く出された。中には人生相談のようなものもあったが、ご自身の経験を踏まえ非常に丁寧にかつ親身に応えている姿が印象的であった。
その後市民芸術館のレストランに会場を移し懇親会が29名で開催された。現在建設中の信濃毎日新聞松本本社社屋の伊東事務所からお二方も参加され、先生からは芸術館建設中のエピソードや外壁のGRCパネルとガラスのディテールなど興味深いお話を聞きながら楽しい時間を過ごした。
2次会も例年とおり「酒房 蔵佳」で2時間にわたって行われたが、中山先生はテーブルを廻りながら多くの参加者と話をされていた。アルコールはかなりいける口のようで、2次会終了後は伊東事務所のお二人と夜の街に消えていかれた。
2月18日
第12回建築祭 「ひと、まち、建築 見つめようくらしの場2018」
「建築家 宮本忠長展」
昨日に引き続き開催されたが、私はコンクールの審査員で会場に足すら運べなかった。残念。撤収後片付けと整理の残る宮本設計の皆さんに再度御礼申し上げます。
「長野県学生卒業設計展」
やはり昨日に引き続き午後3時まで開催される。最終的な市民賞の投票は154票あった。松本市民にも定着してきたようで大変嬉しい。
「第27回長野県学生卒業設計コンクール」
今年は美術館側からは参加されなかったので、審査員は中山委員長、藤沼支部長、山梨地域会から堂本さん、私の4名の構成である。
例年通り公開審査で午前中に高校の部と専門学校の部を、午後大学の部の審査を行った。今年は各部とも出品数が多く、高校で25作品、専門学校が14作品、大学が10作品ありタイムスケジュールは大変タイトなものになった。
高校の部は4校の参加だが、昨年に較べても更に学校間の格差が縮まった印象を受けた。これはお互いに刺激を受け切磋琢磨して努力していることの現れではないかと思う。生徒諸君の奮闘を讃えると共に指導に当たっている先生方には、本当に頭の下がる思いである。
私は池田工業高校、飯田OIDE長姫高校、上田千曲高校から1作品を、長野工業高校から2作品を選んだ。金賞は長野工業高校の中山君の大作が受賞した。表現力、規模ともに他を圧していて受賞に相応しい作品だった。私は上田千曲の小林さんを推した。女性らしく丁寧にかつ細やかな配慮が行き届いていて好感が持てた。また今回の受賞は上田千曲としても久しぶりの筈で、昨年エールを送ったこともあり非常に嬉しく感じた。
昨年初めて参加した丸子修学館は今年は不参加で残念だったが、来年のエントリーに期待します。
上田情報ビジネス専門学校は、ここ2〜3年の停滞を払拭するかのような力作が揃った。表現が多彩で、やりたいことがこちらにも明確に伝わってくるのが良い。私は男性の3作品と女性の2作品を選んだ。男性陣は均整の取れた魅力的な建築を生み出していたが、用途や敷地に合致していないところが見られたので上位入賞は見送られた。銀賞を受賞した伊東さんの作品は均整の取れた完成度の高いもので、このまま実現すると思わせる出来映えであった。金賞の神田/中村さんの作品は少々荒削りだが、発想が豊かで独創性もあり魅力ある建築に仕上がっていた。
2年間で成果を出して学生を社会に送り出すという専門学校の特殊性もあり困難さも十分理解できるが、ここまでレベルを上げてきたことに素直に敬意を表したい。そして、もしこのコンクールの場がそれに一役買っているのだとすればこんなに嬉しいことはない。
信州大学に関しては、私の記憶では今年の出品数10というのは過去最多ではないか。去年の北関東甲信越課題設計コンクールでの最優秀賞受賞を含め信大で何かが起きているのか?と勝手に都合の良い妄想を抱いてしまった。
今年は近年の古い建物や商店街のリユース、コンバージョンよりは福祉や環境に配慮した提案が多いと感じられた。昨年も述べたように、評価の得やすいまちづくりや分棟形式の提案よりは単体の建築で勝負している案を応援したい気分なので、推薦する3案の中に鈴木君の新たな商業施設の提案に1票入れた。東京を見ると次々と新たな試みがなされているが、地方都市においてどう理論武装し形に表すかはかなり困難な作業だと思う。信大の傾向として中山先生も指摘されていたが、卒業設計全体の時間配分の中でリサーチに重点を置きすぎるように感じていて、その結論に縛られる傾向も見られるが、難しい課題に対する新たな提案を評価した。
残る2点は筒井君の「スラム再建」と平岡君の「取り壊される商店街にスタジアムを挿入する」を選んだ。審査員の総意でこの2作品から金賞、銀賞を選ぶことになったが、私がどちらを推すかで決まる役割になってしまい困惑したが、悩んだ末「スタジアム」を選んだ。「スラム」は行った経験のあるエクアドルの海岸端のスラムが津波で壊滅的な損害を受けたのを受けての再建の計画である。作品としての完成度は明らかにこちらの方が上であるが、日本に再建中の被災地が多く存在するのに、行ったことがあるとはいえ海外に敷地を設定することに対し説得力に欠けると判断した。金賞を受賞した「スタジアム」は荒削りで突っ込みどころも多々あるが、取り壊してマンションを建設する計画地にサッカーのスタジアムを建設して地域の再生・活性化を計るという大胆でスケールの大きい提案を評価した。決定後にこれは卒業設計ではなく課題設計の作品だったことが判明した。全国のコンクールに対象でないものを選出してしまったことになり、課題の残る審査結果になってしまった。
銅賞の斉藤さんの「6話の狩猟物語」は鹿の獣害から地域を守り共生を試みた建築群で高く評価され、市民賞にも輝いた。山に囲まれた信州における深刻な環境問題に取り組んだ姿勢は評価したが、私は建築への落とし込みに不十分さを感じたので1票を入れなかったのだが、“カナダから狼を連れてきた方が有効だ”などとつい口を滑らせてしまい、大顰蹙を買ったことだろう。彼女が受賞後のコメントで、この受賞を糧に大学院で研鑽を積み必ず設計の分野に進みたい、と発言し救われた思いがした。
中山先生は作品の本質を鋭く見抜き、問題点を指摘し、あるいはその場で模型にフリーハンドで線を引いて解決策を示すという離れ業を演じます。批判をしても常に学生に寄り添い励ます姿に感銘を受けました。全国の建築を学ぶ学生が先生の授業や指導を望んでいる理由が垣間見えた気がします。帰り際に“これでご縁ができたので、よろしかったら今後もおつきあいいただけますか?”と聞くと、“松本は大好きなのでまた来ますよ”と仰り、車を用意していると伝えると、松本を楽しみたいので歩いて帰ると街なかに消えていきました。学生諸君は大変有意義な時間を過ごせたと確信します。中山先生、2日間本当にありがとうございました。
また、この場をお借りして松本美術館とスタッフの皆さんに敬意と感謝を申し上げます。
最後になりますが、1年間かけて準備し、展示から撤収まですべてを予定通り寸分の狂いなく執り行っていただいた関係者の皆さんに御礼申し上げます。
私の代表としての任期も残すところ2ヶ月弱となり、この建築祭をもって行事はほぼ終了しました。4年間の絶大なるご協力にも重ねて感謝申し上げます。ありがとうございました。
来月の信毎松本本社の現場見学会と4月の通常総会を残すのみとなり、これで多少は枕を高くして眠れそうです。