JIA保存問題東京大会に参加して
2007年03月01日
「JIA保存問題東京大会に参加して」(2007.03.01) 児野 登(アーキディアック)
東京大会に於いて、長野県クラブからは20名近くの方が参加したのに、全体の参 加者が思ったほど少なかったことは、まだ建築家の意識が、建築の保存に向かわず。 新しく造ることに集中しており、創った建築をいかに大切に使っていくかには向いて いないのだと、自省の念も込め実感した大会でした。
社会資本の充実も望めない、声高に語られる景観、まして風景など遠い存在に感じられる。東京大学のキャンパスを見学し、内田祥三設計の幾棟もの建築群が創り出すキャンパ スの雰囲気は、確かに素晴らしいと思うけれど、ここでも建築が大事にされていないと思う。設備配管はむき出し、建築学科の建物はごみだらけ。ここが日本の建築教育の最高峰の現場ということ。建築に係わるジャーナリストの発信する活字の中に、僅かに出てくる建築家の文字、建築や建築家を消費する時だけこれでもかと使われる。
建築を芸術の一つとして教育することのない日本。以前から思っていたことの一つ は、小、中学校から記憶や思い出の源泉として描かれる建築、地域の魅力を創り出し村や街を創り出す建築について、音楽や美術のように心のこと感性としての 建築を教えてくれる教育がほしい。
シンポジュウムでは、そんな発言もしてみたつもりだが、なれない上で言葉足らずで伝わらない。私達がいつもやっている、ゆとりの時間の出前講座か特別職場体験授業のように、一生に一度程度の教育の機会でいいような認識でパネラーからは答えが返ってくる。
前向きな話も聞けました。具体的に建築を保存する為には、
(1)商業的価値を超 える文化的保存価値意義を与える。
(2)景観や記憶として多くの人達の支持を得る。
(3)保存の為のビジネスモデルを創る。その上で戦略的にメディアの力や市民 の力も借りながら、持続可能な技術的、法的根拠を与える。
私の少ない経験でもポイ ントが把握されており、保存問題に係わる委員の皆さんの今後の健闘を祈らずにはい られません。