音楽のつくられるとき

公益社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 長野地域会

音楽のつくられるとき

「音楽のつくられるとき」(2012.10.18) 鈴木芳彦(一級建築士事務所住空工房)

 

2010年12月18日僕はとんでもないところにいた。

アメリカはニューヨーク、カーネギーホール。いや、客席ではない。ステージである。しかも世界のマエストロSeiji OZAWA,そしてサイトウキネンオーケストラ目がの前にいる。

 

14日から開かれている日本芸術祭「JapanNYC」。ブラームスの1番、幻想交響曲と2回の公演を終え、サイトウキネンオーケストラによるこのツアー最終公演、ブリテンの「戦争レクイエム」である。大オーケストラと小オーケストラ、ソプラノソロ、バリトン、テナーの男声ソリスト2人、約120人の合唱団、それと40人弱の児童合唱団による大掛かりな曲である。

 

2人の男声ソリストはそれぞれ戦いあった英国軍とドイツ軍の兵士であり戦争の悲惨さを生々しく歌う。合唱団はラテン語でいわゆるレクイエム、鎮魂の歌を歌い、ソプラノソロは天上の声、そして児童合唱団が3階の一番高いところから天使の声で、苦しむ魂を安らぎへと導く。第二次世界大戦でドイツ軍の猛攻撃で破壊しつくされた英国コヴェントリーの大聖堂の再建にあたり献呈された20世紀の名曲である。そのステージに立った。

 

そもそもの始まりは2008年の秋に遡る。新聞でサイトウキネンフェスティバル公式公演の合唱団員公募の文字を見つけた僕は後先も考えずにすぐさま申し込んだ。高校生の頃より40年、わき目もふらずオザワセイジファンであり憧れでもあるその人と音楽が創れる、そしてどう創られて行くか体験できる。こんなことは二度とないだろう。チャンスは前髪をつかめだ、ってわけで、脇に書かれていた一文、音楽の専門教育を受けた方、もしくは同等以上の方というのは無視をした。

運よく1次審査も通り年が明け2次審査を受け結果発表の前日事務局から電話が来た。テレビで取材させてくれと言う。でも落ちてたらカッコ悪いじゃないですか、、、。まあ、こういうお願いをするのだからそのへんは察していただいて、、、。と言うことは受かってるのか、、、。 と言うわけでめでたく合格、松本通いが始まる。

 

その練習初日に、来年暮れにはこのプログラムをカーネギーホールへ持って行くといわれた。びっくりした。だけど交通費は自分持ちですよ。二度びっくり。

月2~3回が毎週になり、本番直前の8月中頃には毎日になり仕事手付かずの状態になった。それでも小澤さんの音楽を知れること、公式公演をちゃんと行なうことに対する責任の大きさのほうが日々の生活に勝った。なんと言ってもS席23,000円一番安い席でも10,000円の本公演である。単なるイベントじゃない。

 

アマチュアの合唱団がこの大曲を半年ではとても無理だと言われたが、超一流のプロ合唱集団、東京オペラシンガーズの助けがあり、絶賛のうちに公演を終えることができた。暮れには密着取材(大袈裟か?)を受けた番組も放送され主人公の一人になった。

 

2010年正月、カーネギーへ向けての決意を新たにした頃大事件が起こった。小澤さんの癌である。幸い初期で手術もうまくいったのだが、後になって弟の幹雄さんに聞いてみたら、開胸しての食道全摘だったからかなり大変で、リハビリもまた大変らしい。療養中に落ちた筋肉が戻らず、もともとの腰痛が悪化して2010年夏のサイトウキネンフェスティバルはチャイコフスキーの弦楽セレナーデの1楽章を演奏するのがやっとだった。だが音楽に対する深みはますます増して行ったようだった。併行して行なわれていたカーネギーへの合唱団と小澤さんの練習も、脇に折りたたみベッドを置いて15分練習しては15分休憩といった感じで小澤さんにとってはかなり歯がゆい思いのようで、音楽がのってくるとマネージャーがいくら声を掛けてもなかなかやめなかった。しかし音楽をとめると、身体への負担がかなり大きいようで辛そうだった。

 

秋口から渡米直前まで小澤さんとの東京での練習も含め、カーネギーで一緒に歌う日本屈指のアマチュア合唱団、栗友会合唱団との練習を重ね、ひとつの合唱団~SKF松本合唱団としての響き、色が出るように努力した。そしてカーネギーへ。

松本からは公募組の大人と児童合計70名、6泊8日の旅である。もちろん自腹。カーネギー脇のホテルで缶詰めである。小澤さんの体調を気遣いスケジュールがころころ変わりあまり遠くへは出歩けない。見たい建築もいっぱいあるが公演が終っての最後の1日に集中させる。とはいってもロックフェラーセンターの屋上に上ってニューヨークをぐるっと見回してみたり、5番街のティファニーへ行って公演のときつけるカフスボタンを値切って買ってみたりはした。鈴木さんの英語はクソ度胸英語だねって仲間に言われた。

 

小澤さんは軽い風邪と疲労のためなかなか練習には出て来れず、アシスタント指揮者による練習が続く。アシスタントとは言ってもピエール・ヴァレーとか高関健とか一流どころである。小澤さんの練習は1日だけだったが、ますます鋭い眼光と音楽に対する意欲に圧倒され、ぐいぐいと引き込まれ手ごたえを感じた。

 

幸運にも幻想交響曲のコンサートのチケットが手に入った。これも窓口でのクソ度胸英語でである。ど真ん中のSS席のようなところが$98。日本では考えられないような安さだ。そして客席側での響きを楽しむことができた。2800人も入る大きなホールなのにステージと一体になった心地よさだ。新しいホールによくありがちな、音の反射が線で見えるような響きではない。空間の中に空気が満ち満ちていくような響きである。風船が膨らむのとはまた違う、変な圧力は感じない。満ち足りてゆく。水戸芸術館のコンサートホールと似ているか、、、。逆である、水戸がここに似ているのだ。ここで明後日歌うんだ。

 

リハーサルのときステージで歌って感じていたのだがとてもここちいいのだ。歌っていると身体が自然に響いているし自然に声が出る。1891年に創建され解体の危機にもさらされ120年間7番街57丁目のランドマークとしてあり続けたこのホールには何か命、魂のようなものが宿っているに違いない。そんなホールで歌える喜びは何ものにも変えがたい。

 

そして本番。満身創痍、鬼気迫る小澤さん。その身体からは何か目には見えない力が、ほとんど目に見えそうなまでのかたちになって伝わってくる。僕たちはそれによって自由に解き放たれる。(分かんねえだろうなあ、この感覚。こればかりはやってみないとねえ。)
結果は、客席総立ちである。最後の部分の子供たちの声が一番奥の3階席から降ってきて本当に天使の声のようだった。涙が出た。 翌日の辛口批評で知られるニューヨークタイムスの文芸評論ではベタ褒めである。日本の新聞でも取り上げられたようだ。

 

ようやくオールフリーの日。自由の女神を対岸から眺めグランウドゼロを見てウォール街を通り教会のミサにちょっと参加して地下鉄で移動、アッパーイーストサイドでイタリアンランチを食べグラス2杯のワインで気持ちよくなって(量が多い)グッゲンハイム美術館に行き上から下まで歩き、メトロポリタン美術館の玄関を入って、こりゃとても1時間じゃ無理だと観念し、閉館30分前にMOMAに飛び込みランニングして回った。とてもどれも落ち着いては見てられなかったが。

 

帰り成田へ着陸寸前アナウンスがあった。当機にはカーネギーホールで演奏を終えられた合唱団の方々が搭乗されております。拍手がおこり涙が出た。やってきたんだ。
一番大切な目的は達成された。そしてひとつ達成されるともっとやってみたくなるものだ。と言うわけで2011年、2012年とまたオーディションを懲りずに受けフェスティバルに参加させていただいている。ただし僕は歌が好きなわけでは決してない。どちらかと言えば歌のない音楽のほうが好きだ。それに音痴だしね。と言うわけでJIAの行事になかなか参加できない言い訳にしておこう。

 

 

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