震災から学ぶ
2011年07月20日
「震災から学ぶ」(2011.07.20) 赤羽吉人
東日本大震災並びに長野県北部地震で被災された数多くの方々に衷心よりお見舞い申し上げますとともに、その復興支援に携わる多くの方々に深い敬意を表します。
現地に立ってみると、辺り1面住宅の基礎が残っているだけで他は何もないなどという光景に、ただただ呆然とするばかりで、かつて此処に集落があったとは・・・との思いでした。
地震による被害は、それなりにメカニズムが推定できますが、津波という、想定を遙かに超えた被災状況は、どう表現して良いかさえ定かではありません。信州という山国に住む私達には特にその思いが強いと思います。しかしこれを単に「想定外」として片づけてしまえるものかという疑問が湧きます。専門家として謙虚に災害の可能性を排除する勉強や努力を怠ってはいなかったかと自分自身に問いかけました。そんな中で、歴史から学び、先人の声に耳を傾けて被害を最小限に押さえることができた岩手県普代村の防災努力は今後も語り継がれるべき叡智であると思います。
一方、安全神話が崩壊してしまった原発は、未だに決着点が見えずに、安全安心な国土という生活者にとって最も基本的な要件が欠落したまま4ヵ月になろうとしています。
国内外からの観光客の激減は、長野県の観光施策にも大きな影を落としており、一日も早い実質的終息の実現と同時に、「パラダイムシフト」の代名詞になった自然エネルギー利用の小規模発電施設の促進も望まれるところです。
皮肉にも此処にいたって電力会社による原発推進の原動力であった低炭素化社会の実現とそれによる地球温暖化阻止に疑問符が灯されていることは大変興味深いといえます。
地球の持つエネルギーと包容力は、人類の経済活動くらいではびくともしないはずとの信念はずっと持ち続けてきましたが、地球温暖化に異論を唱える科学者の声が異端者扱いされずに少しずつ報道されるようになったことは大変喜ばしい。
いずれ歴史が真実を明かした時、私達は過去の人間となっているかもしれませんが、その時代を生きた人間が謙虚にものを考えていたことだけは担保しておきたいものです。
さて復興計画の展望に話を戻しますが、多岐にわたる被害特性に加え、地域ごとに固有の課題を抱えている今回の復興にあたっては、人々の安心・安全のよりどころである建築やコミュニティーの力を活用し、地元の人々の要望に耳を傾けながら、それらを方向づけ空間化し、雇用の場も含めた持続可能な生活環境を再生することで、地域社会と地域文化を継承発展させていく総合的な施策が求められています。
今後構築される復興支援の枠組は、地元住民の声を反映し住民が中心となって組み立てるものでなければならないと思います。建築家は、住民が自分たちで復興するという決意を固めるための後押しに徹することです。それができて初めて「まちづくり」の第1歩を踏み出すことができるでしょう。