休日の過ごし方

公益社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 長野地域会

休日の過ごし方

「休日の過ごし方」(2012.07.09) 福島 透(アースワーク一級建築士事務所)

 

早めに打ち合わせを終えた貴重な休日の昼下がり、やりたいことが沢山あってさて何から始めようかと考えて、考えていたらいつの間にか陽も落ちて、慌ててまだ読んでいない本などひっぱり出して読んで見るもののすぐに夕食の時間になってしまう。

所詮私の休日とはこういうものだな。と実感することが私の休日なのです。嗚呼、何と空しい休日なのか….

 

 

ところで、今年我家のシラカバに「オナガ」が巣を作った。カラス科の鳥だけに毎日「ガーガー」と汚い(失礼)声で鳴いて賑やかなのだ。姿は綺麗なのに声で損をしているその仕草、どこか憎めないところが実は愛おしい。

 

鳥が巣を作ることは縁起物らしいのです。そんな話を身近な人から聞いたのだけれど、この話が本当なら実にうれしいことである。幸いにも今のところ仕事は充実しているし、腰痛も今年は軽い症状で気分が良い。唯一自分の時間が取れないのは辛いところであり、改善すべきことである。そこで「建築家のひとりごと」はこの貴重な時間の使い方について最近感じていることを少しばかり、何の脈略もなく書いてみました。

 

今や携帯電話やPCがないと仕事が出来ない世の中である。勿論私の事務所も例外ではありません。仕事相手や友達との連絡もメールや携帯電話で済ますことも良くある話。便利な世の中になったような気がします。メールは一日一回チェックし、必要なメールは返信する。どこに居ても、何時でも携帯やPCさえあれば打合せが可能である。図面も宅急便など使わずメールで受け渡しが可能です。だから図面のやり取りしている間は休める! なんてことも無く継続して仕事ができてしまうのだ。また必要な情報を真実かどうかは別にして簡単に手に入る時代。実に効率的な世の中になったものだと関心もする。

 

その反面、心の自由(ゆとり)が奪われているような、そんな気持ちも潜在的に存在する。何かに追われているような、あるいは隠れる場所の無い丸裸の世界。便利な道具を手に入れたことの代償として心のゆとりや人間としての本質が失われたような感がある。

 

少し前の新聞では気になる記事が目に留まった。それは、世の中離職率が下がらないという内容である。「酷使されている」といった辞める側の言い訳と「忍耐力が無い」という雇用側の反論。

 

何をするにも時間的な速さが要求され人としての自由が無くなってきている。いわば双方【心のゆとり】が無いのだ。由々しい問題だと思います。

 

かくいう私は、やはり「ゆとり」が無い。だから、打ち合わせの周期を長く願望し、自分の仕事だけはブレーキを掛け踏ん張っている。そのつもりだった。

 

そのはずが、少しばかり自由になれる休日でさえ、常に意識の中ではお客さんが発した言葉を繰り返し考え、そして空間をイメージする。時に出来た図面に赤線を入れては振り出しに戻ることもしばしば。そしていつの間にか貴重な休日が仕事で終わるのです。

 

ああ、やはり私は休日を優雅に過ごせるような人間にはなれないのだ。そうであるなら、それも 幸福と思うことにしよう。建築家とはこの呪縛から逃れられない家業なのだから。

 

 

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