建築家とアカデミズム

公益社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 長野地域会

建築家とアカデミズム

「建築家とアカデミズム」(2006.07.01) 君島弘章 (君島弘章建築設計事務所)

 

最近個人的理由で建築家協会から足を遠ざけている。そんな立場で客観的に街の一般の方々の言葉を聞くと建築家について、どうも業界内で考えていることとは違ったイメージが存在しているように思う。

 

新しい人種により確実に現代は動いており、業界の都合に合わせて作り上げた「建築家像」が綻びを隠せなくなってきているのではないかと思わざるを得ない。建築家を問わず、プロフェッションに対する社会や人々のニーズとの間にズレを起こしているのではあるまいか。重要なのは当の御本人たちがまったく気が付いていないことである。「私は素晴らしい作品をつくる。それにくらべて、、、、。」という悲しい人にはなりたくない。「設計料、、、、君ね、お金のことばかり言うな。卑しく思われるじゃないか。」というような、真剣な人達の足を引っ張るような悲しい大人にはなりたくない。悲しい大人の感性が時代に合わなくなってきているのだ。建築家協会や県クラブ自体もその例外ではなく、今の私にとってかつてのような求心性はまったくなくなってしまった。

 

20世紀が終わりを告げると共に21世紀はコラボレーションの必要性が問われることとなったが、どうしてそうなったのかを真剣に考えてはいないのではないだろうか。古い体質や古い価値観、専門家がアカデミックな思考に眼を向けている限り、観客は白けてしまうのだ。観客を見ずに業界という己の庭ばかり都合よく眺めているからこうなるのだ。

 

最近の建築家協会に至っては、数を増やして発言権を得ようとしたり、(この考えが末期的である )。会費を下げて会員を獲得しようとしたり( こんなことで今どきの若い人達は入らない )、建築家賠償保険に至っては、建築家協会の加入保険がべらぼうに高額であったり( だから私は建築士会の保険に加入し直した )、なぜ建築家協会の建バイが高額になってしまったのかの理由を知り唖然としてしまった。かと思えば、協会組織の幹部事務所が「世にも不思議な物語」ではなく「世にも愚劣な物語( 入札問題 )」を引き起こしたりと、そこかしこに「もういやだ。」と言わせるに充分な建築家たちの膿を見せ付けられた。

 

そんな中で日本建築大賞「梅林の家」妹島和代というニュースが飛び込んできた。とても嬉しいニュースであった。心の露が一気に晴れたような、すがすがしさに一喜一憂している。我々は作家の集団である。政治的、権力的、年功序列、アカデミズム、業界の都合、等など、そんなものは他に任せて、もっとせねばならぬことがあるのではないか。

 

 

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